11月の聖句
11月の聖句
(コリントⅠ 3:16)
今年も暑い夏でしたね。毎年、日除けのために、ゴーヤでグリーンカーテンを牧師館のテラスに作っています。3年前はお世話している外国メンバー達が来てくれ、草刈りとネット作りと植え込みを手伝ってくれました。お礼にピザのパーティーで楽しい日でした。去年と今年は彼らも私も忙しくなりました。ゴーヤは放っていてもグングン伸びるのですが、水やりは大変。週2度ほど泊まりに行く高蔵寺の教会の牧師館は、夜に水やりに行ったりもしましたが、それももう限界!今年は、太陽電池とタイマー付きで水やりをしてくれる安いキットを見つけて設置。水は環境配慮もして雨水タンクです。なんとこれが便利!根本ピンポイントの点滴方式なので2週間程何もしなくても、水は持つし、夏日の直射でぐんぐん伸びていきました。
自分で水やりをしてお世話しても、タイマーで何もしなくても「勝手に」伸びてそれなりに実が実ります。それ以上に、私の努力のあるなしに関わらず、すべての命や植物も、神様が創られて、季節を巡らせて、その中で成長し実も結ぶことを忘れてはいけませんね。
今月の聖書の言葉は、それと、そこから学ぶべきことを告げています。「誰が植えた。」「だれが水をあげてお世話した。」というけれど、「成長させてくださったのは神です」とキッパリ。そして、植物はたとえの話であり、それは、その当時の教会や、私たちの人生について語っているのです。
何かを成し遂げたり、失敗したり。仕事や会社を大きくさせたり、苦しい時期があったり。そんな中を私たちは生きています。しかし、失敗したり苦しい時を過ごしながら、自分が成長させられているのも見つめたいものです。
そして、こどもたちの命や心、人生そのもののことも、そういう目で大切にするべきことを聖書は伝えてもいます。四苦八苦しながらお世話するときもあるでしょう。でも、それを通して、大切なこどもの命を、そしてこの自分をも育ててくれる神様を見上げていきましょう。
園長 徳弘浩隆