学校法人愛知ルーテル学院 名古屋ルーテル幼稚園

6月の聖句

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今月の

成長させてくださったのは神です。

コリントの信徒への手紙一 3章6節


 「成長」をある結果であると、我々は考える。「成長」とは結果ではなく、過程である。それは名詞ではなく、動詞である。生成することが「成長」であり、一つの結果を「成長」とは言わないのだ。それは「成果」でもない。「意味」でもない。「認められること」でもない。過程であるということは、結果も成果も意味も分からない状態である。どこにも行き着いていないことが過程である。「成長」が過程であるならば、「成長」はどこにも行き着いていないことである。

 どこにも行き着いていないことを我々は成果とは言わない。誰にも誇ることもできない。我々親は子の成長を「誇り」としてしまうものである。それは結果や成果として「成長」を考えているからである。そうして、こどもたちを「成果」に貶め、「結果」に閉じ込めてしまう。神のはぐくみを過程として生きることから遠ざけてしまう。こうして、我々親がこどもたちを閉ざしてしまうのである。

 この聖句の原文は「神が育てつづけた」である。「成長させてくださった」と過去形で訳すと「結果」のように思えてしまう。しかし、未完了過去というギリシア語の時制は、過去における継続を表現する時制である。従って、育てつづけたのは神であるという意味になる。パウロやアポロという人間が水をやり、肥料を与えたのは、成長過程の一瞬のことである。親もこどもに一瞬関わる存在である。育てつづけることなどできないのだ。その一瞬に如何に関わるかが問題である。育てつづける神に仕える一瞬の働きを神に献げることができるか否かである。

 育てつづけるお方に、こどもたちを委ねて、親は今できることをなすというだけなのだ。こどもたちは、神が育てつづける。この事実に開かれるとき、親は自らの働きの結果を求めることなく、こどもたちに仕えることができるであろう。

チャプレン 末竹十大

年主題

さあ、漕ぎだそう 奏でよう