学校法人愛知ルーテル学院 名古屋ルーテル幼稚園

11月の聖句

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今月の

子供たちをわたしのところに来させなさい。

マルコによる福音書 10章14節

 


 イエスは「手放す」ようにと言う。親が幼子をイエスの許に連れてくるのを妨げる弟子たちに向かって言う。「わたしのところに来るように手放しなさい」と言う。子どもたちを祝福して欲しいと願うことは、親として当然である。また、子どもたちにはただイエスの許に行きたいと思うありのままの心がある。これらの思いは、彼ら親子のうちに神が与えられた思いである。弟子たちは、神が与えられた思いを、自分たちが制御し、制限する。これに対して、イエスは憤りを感じられた。神の意志を妨げる人間の罪を認められた。
 我々人間は、自分のうちに働いて我々を動かす神の意志と、我々自身の計画である悪しき意志との区別ができないものである。多くは、自分がない頭を絞って考え出した計画によって、神の意志を妨げているものである。我々の計画は、神の意志に反しているというのが聖書の基本的な理解である。人間は自分の都合しか考えないからである。親も保育者も、子どものことを考えていると思い込んでいるが、実は自分の都合で子どもを動かそうとしている弟子たちの在り方と同じである。
 しかし、子どもたちが自分の計画を行っているのか、神の意志に従っているのかをどのように判別するのかと我々は思う。それは、我々自身が自分の計画と神の意志を混同しているからである。聖書を読めば明らかであるのに、聖書を読まないので、判別できないのである。
 子どもたちは、ありのままに受け取るものである。大人は自分の都合で受け取る。むしろ、子どもたちから大人は見習わなければならないのだ、ありのままに受け取ることを。それゆえに、イエスはこの言葉のあとでこうおっしゃる。「子どもたちのように、神の国を受け取るのでない者は、決してそこへ入ることはできない」と。神の国とは、神の意志を受け取るように生きることの中にあるのだ。子どもたちのうちに働く神の力を妨げる大人こそ、自らの罪を良く見つめなければならない。我々も子どもたちも神のもの。神がご自身の意志に従うようにと造られたもの。ありのままのいのちこそ神の祝福なのだ。

チャプレン 末竹十大

年主題

さあ、漕ぎだそう 奏でよう