チャプレン通信 7月号
チャプレン通信 7月号
毎朝、という意味ですね。朝には、することはいろいろあって忙しいですね。でも、みんなが欠かさないのは、朝ごはんでしょう。私は、こどものころ、朝ごはんを食べる暇がないくらい寝ていて、何も食べずに飛び出していたころがありますが・・・
といっても、毎回「かしこまって」祈らなくてもいいでしょう。食事の前後に「いただきます」と「ごちそうさま」というように、1 日の始まる朝は「神様おはようございます。今日もよろしく」と祈り、1 日が終わる寝る前は、「神様今日もありがとうございました。明日もよろしくおねがいしますね」でもいいかもしれません。
「さあ、たべますよ」と直訳すると掛け声みたいで変です。言葉ではなく、その気持ちを考えて通訳することが大切です。「食事をありがとうございます。さて、いただきますよ」という気持ちで、作ってくれた人、そのために働いてくれた人、そして神様に、お礼を言う気持ちで手を合 わせるものでしょう。私は、そんな気持ちを通訳していました。
毎朝神様にご挨拶をしないのは、なんという事でしょうね。コーヒーを入れて飲む時間があるなら、一言、心の中で、お祈りしてみませんか?
一度言えばいいとか、日曜日に教会でお祈りしたらそれでいいという事ではなくて、毎日、お祈りします。「神様、毎日の私の声を聴いてください」と、聖書には書かれています。でも、私が神様に呼びかけないと、神様は聞くことができませんね。
「ごめんなさい」「ありがとう」「よろしくお願いしますね」は一度言えばいいのではなくて、そのたびに、毎日でも、言う事が大切です。買い物のレジでも、家でお茶を入れてもらった時にも、尊大な気持ちで無口・無表情でいるより、「はいどうぞ」「ああ、ありがとう」は気持ちがいいものです。ブラジルではレジでも「ありがとう」「どういたしまして」「またね」とあいさつを交わし、時には冗談を言いあって、会話を楽しむ人懐っこさがありとても好きでした。
今日の詩篇は、「つぶやき」や「助けを求めて叫ぶ声」を聴いてください、という詩編の祈りです。「私を導き、まっすぐに歩めるように」「わたしを陥れようとする者から」守ってください、という祈りが続きます。挨拶とお祈り、私たちも、こどもたちにも、伝えましょう。明るい気持ち、違う自分、違う人間関係が始まります。これは、一生の宝です。