チャプレン通信 4 月号
チャプレン通信 4 月号
忙しいときに、お子さんにあれやこれやと言われ、またまとわりつかれる(?)ことがあると、うれしい反面、「ちょっと静かにしてて!」と言いたくなることがありますよね。イエス様は、どうされたでしょうか?
イエス様のところに、子供に触れて頂こうと人々が子供を連れて来ました。神様の祝福があって、元気でいい子に育てばとの親心でしょう。子供たちもきっと、わいわいと騒がしく入ってきたのでしょう。弟子たちは、あわてて、止めました。しかも、「叱った」と書いてあります。さてこれで、一件落着して、イエス様がお話を続けたかというと、そうではありません。なんと、叱った弟子たちをイエス様が叱ったのです!「憤り」と書いてあります。そして「子供たちを来させなさい。神の国はこのようなこのたちのもの。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と続けられます。
その場の空気を読めず、子供たちを連れてきてうるさくしてしまった親子をいつでもそのままにしていなさい、という事ではありません。状況を見たり、子供たちにもお約束・ルールを教えることは大切です。イエス様はどうしてこんなことを言われたのでしょう?
よくニュースやドラマで聞く言葉に「無邪気で罪のない子供が…」という言い回しがあります。そのたびに私は「そんなことないよ」と独り言でツッコミをいれます。多くの牧師さんもそうだと思います。「罪がない無邪気な子供だから、天の国に入れる」と聖書が言っているのではないからです。「私たちは生まれながら罪深く汚れに満ち…」と毎週教会では声を合わせて罪の告白をします。神様や人を愛するのではなく、自分中心の心が勝ることがあり、いざとなれば悪いこともしてしまう心の状態を、聖書では「罪」と言うからです。
子供は、保護者を全く信じて頼ります。そうしなければ、生きていけません。この「完全な信頼や依存」が大切で「神様に対してそうでなければ、天の国には入れません」という事です。大きくなると、自分の知識や経験や財産に頼り、人も神様も信じなくなる。それが人間の危機です。自己満足や自己主張は、葛藤やいさかい、戦争さえ生みます。聖書は、神を愛し、人を愛することを教えます。
信じてついてきてくれる子供たちは、受け入れられ大切にされると大きな信頼、安心を持ちます。一生の宝物です。しかし、親や先生を信じて完全に依存する段階から、お約束も教え、少しずつ「自分」ができていくでしょう。いつまでも子供をコントロールせず、一人歩きできるように育てるのがもっと先の段階です。時には、親も先生も間違う事があり、その時は正直に謝って、ゆるし・ゆるされる体験も大切です。今日は、どんな声掛けをしましたか?