10月の聖句
10月の聖句
ヨハネによる福音書 17章21節
ヨハネによる福音書17章はイエスの最後の祈りが記されている。父なる神の許に行くときが来たことを知って、イエスは残される弟子たちのために、そして「すべての人」のために祈る。すべての人が「一つ」として存在するようにと祈る。
ここでイエスが祈っている「一つ」という事柄は、我々人間が作り出す「一つ」ではない。神による存在としての「一つ」である。そこには、違いを受容し、自らを与える生き方がある。神の世界は、天地創造の初めからさまざまな存在がそれぞれに存在すべき場所を与えられて、存在する世界である。我々が毎日目にする自然はそれぞれの存在を許されている世界である。自然は受け入れることと与えることを生きている。しかし、人間は奪い合い、拒絶し合う。これが人間の罪の姿である。
このような世界に神はイエス・キリストを派遣された。イエス・キリストの十字架を通して、我々人間が神の世界のこどもとして生きることができるように造り替えてくださるために。奪い合い、拒絶し合う世界の現れが十字架である。イエス・キリストを十字架に架けたのは人間の妬み。妬みによって、イエスの力を奪い、いのちを奪い、イエスの教えを拒絶することが生じた。それまで敵であった存在がイエス殺害のために「一つ」となった。これが、人間が作り出す「一つ」である。
しかし、イエスはその十字架を引き受け、すべての人が「一つ」として存在するようになることを神に祈った。それぞれが受け入れ合い、与え合う世界を祈り求めた。真実に「一つ」である世界、神の愛に基づいた「一つ」の世界は、受容と贈与における「一つ」の世界である。我々のこどもたちが見ている世界はこの世界。我々大人が彼らの見ている世界から学び、彼らそれぞれの存在が生かされていく世界を祈り求めて行きたい。イエスの言葉に励まされて。
チャプレン 末竹十大