8月の聖句
8月の聖句
マタイによる福音書 6章28節
野の花を見るとき、わたしたちは「きれいだな」とは思いますが、どのように育つのかを見ることはありません。また、見慣れた花は「きれいだ」とも思わず、見過ごしてしまいます。野の花は見過ごされてしまう小さな草のような花です。その小さな見過ごされてしまう存在が育つ姿を注意して見るとき、不思議な力を感じます。野の花に上っていく小さなアリはさらに不思議です。自然の世界は自分で何かを作ったり、飾ったり、蓄えたりすることはありません。それなのに育っていくのです。神が作り、神が装わせ、神が食べさせ、神が育ててくださるからです。
わたしたちの子どもたちも実は神が作り、装わせ、食べさせてくださるのです。わたしたち親は子どもたちを育んでくださる神の働きを邪魔しないことが大事です。ともすると、わたしたち親は、自分がしてやらなければこどもが分からないと考えてしまいます。しかし、フレーベルが言うように、子どもたちは自分で学ぶのです。自分で学ぶ力は自分で探求しなければ身に付きません。親が手を出しすぎると、指示されなければ何もできない子になります。答えだけを求める子になります。自分で考えないので、何一つ自分のものになりません。わたしたち親は、まず子どもたちが自分で考え、取り組む姿を見守る必要があるのです。
わたしたち大人よりも子どもたちの方が「野の花を注意して学ぶ」ものです。大人たちが見過ごしているものに注意を向けて、「どうなっているのだろう」と探求するのは子どもたちです。実は、子どもたちの方が野の花を育む神を知っているのです。だとすれば、わたしたち大人は子どもたちに学ぶべきです。彼らの目が追っているものを注意して見てご覧なさい。きっと神の世界が見えます。
チャプレン 末竹十大